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皆さん、こんばんは!今日、私はプロジェクトについて話します。


 最近、私は和食に興味があるので、アメリカで寿司の歴史を調べたかったです。そして、このレポートには学んだことや現地の和食のレストランでワーカーに取材したことについて話します。

 明治の時代に、多くの日本人はハワイや西海岸 (にしかいがん= West Coast)に就職に行きました。この人たちは小さいコミュニティで一緒にたいてい住みました。日本人のコミュニティが増えてきたら、ほとんどの日本人はアメリカの食べ物が好きじゃないから、和食のレストランを建てました。そのレストランは日本人むけでしたが、アメリカ人も和食を試す (ためす= to try)ことができました。

 また、これらの場所で材料は見つけやすかったです。ロサンゼルスでリトルトーキョーの一つの大事な「ミュチュアールトレィディング」という会社です。ミュチュアールトレィディングはこれらのレストランに一般な材料だけじゃなくて、韓国のエビや東京の海松貝など珍しい材料を供給します。

 戦争の前に、アメリカ人はあまり生魚(なまざかな= raw fish)を食べなかったし、お米よりパンが好きだから、和食を食べることが迷いました。しかし、戦後に日本に住みるアメリカの兵士はゆっくり生魚の味が慣れました。ほとんどのアメリ人はまだ生魚を賛成しないでしたが、「エキゾチック」と思いましたから、寿司に興味がありはじめました。

 その上、50年代や60年代にたくさん日本人はアメリカに引っ越して、多くは若いシェフやビジネスマンでチャンスを探していました。60年代にカワフクとかエイギクとかトウキョウカイカンとかインピリアルガーデンスなどはロサンゼルスではじめて寿司のカウンターでした。寿司のカウンターはアメリカ人に新くて、面白いレストランの経験をあげました。現在、たくさん若いアメリカ人は日本の文化に興味があるので、和食が大変人気です。寿司が人気になったことが長い時間がかかりますが、今ほとんどのアメリカ人は信じることが難しいかもしれません。



 三年前に、私はロサンゼルスに引っ越した。それ以来、「寿司・ガラ」というレストランに行っています。家族や友達はロサンゼルスに来たら、たいてい寿司ガラに連れて行きます。それで、秋休みはレストランに行くことに決めました。


 キャンパスからリトルトーキョーまでは電車で25分ぐらいかかります。キャンパスから、東行きのEラインに乗ります。そして、「リトルトーキョー・アートディストリクト」という7目の駅で電車をおります。次に、階段を上って、駅を出たら、交差点をまっすぐ渡ります。高くて、赤いタワーが見えると、左にまがります。その後、レストランが見えます。

 リトルトーキョーは水曜日の昼さえとても賑やかです。寿司ガラも結構混みました。オーナーを取材したいですが、彼はお願いを断ってしまいました。私は少し負けた感じがしましたけど、ワーカーは取材に賛成しました。


このレストランはいつ開店しましたか?

 1988年に寿司ガラを開店した。リトルトーキョーのビジネスと同じで、それも家族所有です。

レストランの名前を変えたことに気がしました。どうしてでしょうか?

 ほとんどのお客さんは「ラスガラス」がスペイン語らしいと思いました。そして、オーナーはレストランの名前を変えました。

古い名前の元はどこにありましたか?

 分からないけど、このレストランはアメリカの食べ物を売っていたと聞ました。元はここでサンドやハンバーガーだけ売れましたが、お客さんは和食をリクエストしました。そして、寿司ガラは和食を売れ始めました。

コロナから、何か変わりましたか?

 皆にとって、2020年は変な時代だったと思います。しかし、次の年我々はまたゆっくり忙しくなりました。それは本当にラッキーだと思います。

たくさん人はリトルトーキョーでジェントルフィケーションについて心配しています。どう思いますか?

 ちょっと怖い。5年間ぐらい寿司ガラで働いているし、リトルトーキョーが好きです。でも、オーナーは全然それについて話さないから、私は心配しない感じがします。スエヒロ「カフェ」が戻ってくると聞いて、いいと思います。


Comments

  1. すごい!!アメリカで日本料理がそんなに昔から食べられていたということを知りないよ。私はいつもお寿司はアメリカ人にとってトレンデイだし新しい食べ物だと思っていた。私の家族の中にはまだお寿司を食べない人もいる!

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